| イェーテボリの歴史 |
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| 2010年 1月 06日(水曜日) 10:46 |
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イェーテボリ中心部にあるグスタフ・アドルフ広場にはグスタフ2世アドルフの銅像があり、その高い位置から下を指さしている。古い言伝えによれば、1621年、現在のイェーテボリが都市の称号を得る際に、彼は「ここに街を作れ」と言ったそうである。
レーデースはスウェーデンの西への玄関である、イェータ運河の河口から遠く離れていた。そこで1400年代にセーヴ川(Säveån)の河口、現在のガムラスターデン(Gamlestaden)の付近に新しい街、ニーア・レーデース(Nya Lödöse)が作られた。1300年代にはガムラエルヴスボリ(Gamla Älvsborg)要塞がクリッパン、現在のマーヨナ(Majorna)地区付近に作られた。この要塞は1563年と1612年の2度にわたりデンマークに占領された。スウェーデンはこれにより、要塞を取り戻すため、莫大な賠償金を支払わされることになった。 1600年代1600年代の初め、エルヴスボリ橋(Älvsborgsbrons)の北の袂の、ちょうど東側にある、ノッラ・エルヴストランデン(Norra Älvstranden)にイェーテボリ(Göteborg)と名付けられた街が、グスタフ2世アドルフの父、カール9世によって作られた。しかし1611年にデンマークにより破壊されてしまう。破壊された教会や他の残骸は今でも見ることが出来る。 グスタフ2世アドルフ時代以降は、彼の選んだユートレッラ(Utrella)、現在のオッテルヘッラン(Otterhällan)に現在のイェーテボリが作られていった。 1700年代1700年代には、イェーテボリは北ヨーロッパの重要な中心地になる。1700年代半ばには、1万の人口を抱える都市になった。またイェーテボリは、豊富なニシンの漁獲高を誇る、国内最大の漁業都市となった。 1731年にはスウェーデン初の商社、スウェーデン東インド会社が設立された。イェーテボリは中国や極東地域から来る、お茶や陶磁器、胡椒、絹などの製品により、ヨーロッパの一大商業拠点となっていった。 1800年代1800年代半ばまでは、イェーテボリの主要産業は商業と海運業であった。 この頃、複数の機械製造工場、イェーテボシュ・メカニスカ・ヴェルクスタード(Göteborgs Mekaniska Verkstad)、リンドホルメンス・ヴァルヴ社(AB Lindholmens Varv)、エリクスベリス・メカニスカ・ヴェルクスタッズ社(Eriksbergs Mekaniska Verkstads AB)などが創業し、スウェーデン国内で三大造船会社に発展していく(現在は修理工場が1つ残るのみ)。 1900年代海運業がイェーテボリの根幹となった。1900年代初め、イェーテボリはスカンジナビア最大の貿易港となり、海運会社は大きく発展し、造船会社は産業を支配していった。その後ボルボ(自動車製造)とSKF(ベアリング製造)が拠点を置く。 しかしイェーテボリが重工業を支配していたことで、1970年代の造船危機の影響は特に甚大であった。イェータヴェルケン、リンドホルメン、エリクスベリは倒産し、造船業は街の産業からほぼ姿を消した。 代わって台頭してきた産業は、環境技術とITであった。また、ボルボとSKFは依然として街の最も重要な収益源になっている。 |